古民家カフェで出会った陶芸家:土の温もりが紡いだ新たな道
漠然とした不安を抱えた旅立ち
私は大学を卒業間近に控え、周囲が次々と就職先を決めていく中で、一人、将来への漠然とした不安を抱え続けていました。学生時代に目指していた道は本当に自分の望むものなのか。自分には何ができるのか、何がしたいのか。そんな問いに明確な答えが見つけられず、漠然とした焦燥感と自己肯定感の低さに苛まれる日々でした。就職活動も思ったように進まず、何から手をつけて良いのかも分からない閉塞感に包まれていたのです。
そんな中、私は現状から一時的にでも離れ、自分自身を見つめ直したいという思いから、卒業旅行を兼ねた一人旅に出ることを決意しました。目的地は、九州地方にひっそりと佇む、とある焼き物の里でした。インターネットで偶然目にした、素朴でありながら力強い焼き物の写真に心を惹かれ、何かヒントが得られるのではないかという淡い期待を抱いての旅路でした。
古民家カフェ「土の音」での出会い
焼き物の里に到着した私は、古い町並みを散策していました。観光客で賑わうメインストリートから一本奥に入った路地裏で、ふと、ひっそりとした古民家カフェが目に留まりました。「土の音」と書かれた木製の看板が、その店の趣を物語っているようでした。吸い込まれるように扉を開けると、そこは時間がゆったりと流れる、温かい空間でした。土壁のぬくもり、木の香りが混じり合ったコーヒーの香り、そして店内を飾る様々な形の手作りの器たちが、静かに私を迎えてくれました。
私は窓際の席に座り、店主を待っていました。やがて奥から現れたのは、白髪交じりの髪を上品に結い、柔らかな笑顔を浮かべた初老の女性でした。彼女こそが、このカフェ「土の音」の店主であり、裏手で陶芸教室を営む葉月さんでした。
葉月さんの手から出されたコーヒーは、土の温もりを感じる独特のカップに注がれていました。そのカップは、手にしっくりと馴染み、口当たりも優しく、コーヒーの味を一層深く感じさせてくれました。私はその器にすっかり魅了され、思わず葉月さんに尋ねてみました。「この器は、先生がお作りになったのですか」と。葉月さんは「ええ、そうです。この土地の土を使ってね」と穏やかに微笑んで答えました。
その日の午後、私はカフェの奥にある工房で、葉月さんの作品をいくつか見せていただく機会を得ました。そこに並んでいたのは、どれもが一つとして同じもののない、土の力強さと作り手の温もりが息づく作品ばかりでした。葉月さんは、一つ一つの作品について、その土の成り立ちや、形に込めた思い、焼成の際の苦労話を、楽しそうに語ってくださいました。彼女の言葉からは、土と真摯に向き合い、全身全霊を込めてものづくりに励む姿勢がひしひしと伝わってきました。
私が特に印象に残ったのは、葉月さんが「土の声を聞くのよ」と語った言葉です。土の持つ個性や、粘り、乾き方、ひびの入り方。それらすべてが、その作品の個性を形作るのだと。完璧を求めすぎず、土の自然な状態を受け入れ、その特性を最大限に活かすことが、美しい作品を生み出す秘訣だというのです。その言葉は、完璧ではない自分自身を受け入れられないでいた私の心に、深く響きました。
土と向き合い、見つけた自分だけの道
葉月さんとの出会いは、私の内面に大きな変化をもたらしました。それまでの私は、就職活動においても、完璧な自分を演じようと必死でした。失敗を恐れ、常に「正解」を探し、他人からの評価ばかりを気にして生きてきたように思います。しかし、葉月さんが土と向き合う姿を見て、私は「不完全なままでも良いのだ」という、ある種の解放感を感じるようになりました。土の持つ不均一さや、予期せぬひび割れさえも、作品の個性として受け入れる葉月さんの姿勢は、私自身の「欠点」や「不完全さ」に対する見方を変えてくれたのです。
私は、葉月さんの陶芸教室に短期滞在で参加させていただくことになりました。初めて土をこねたときの感触、思ったように形にならないもどかしさ、そして少しずつ自分の手の中で形を成していく喜び。そのすべてが、私にとっては新鮮な体験でした。葉月さんは、私の拙い手つきを優しく見守り、「焦らなくていいのよ、土と対話する時間が大切だから」と繰り返し教えてくださいました。ろくろを回しながら、ただひたすら土と向き合う時間の中で、私はこれまでの人生で感じたことのない集中と平穏を得ることができました。
この体験を通じて、私は「自分が本当に心から夢中になれること」の価値に気づきました。大手企業への就職という安定した道を目指すことだけが、唯一の正解ではない。自分の手で何かを生み出すこと、不器用でも一つ一つ丁寧に積み重ねていくことの中に、これまで求めていた「やりがい」や「自己肯定感」を見出せるのではないか。そう考えるようになったのです。
旅から戻った私は、すぐに就職活動を一時中断しました。そして、大学のキャリアセンターで相談し、地方の小さな木工工房でのアルバイトを見つけ、そこで働きながら、手仕事の世界にさらに深く触れることを選択しました。もちろん、不安が全くなかったわけではありません。しかし、葉月さんから学んだ「焦らず、土の声を聞くように、自分自身の声を聞く」という教えが、私の背中をそっと押してくれました。出会う前の私は、決められたレールの上を走ることだけが「正解」だと信じていましたが、出会った後の私は、自分自身の足で、自分だけの道を探す勇気を持つことができました。
現在、そして未来への一歩
あれから数年が経ちました。私は今、あの時アルバイトで飛び込んだ木工工房で、見習いとして日々研鑽を積んでいます。まだまだ未熟なところばかりですが、自分の手で木を削り、形を作り出す喜びは、何物にも代えがたいものです。時には挫折しそうになることもありますが、そんな時は、葉月さんの工房で土と向き合った日々を思い出し、「焦らず、一つ一つ丁寧に」という言葉を胸に、再び前に進む力を得ています。
あの旅での偶然の出会いは、私の人生の羅針盤となりました。葉月さんとは今でも文通を続けており、時折、彼女の温かい励ましの言葉が届きます。いつか、私も自分の手で生み出した作品で、誰かの日常を少しでも豊かにできるようになりたい。そして、あの時葉月さんが私にそうしてくださったように、誰かの人生にそっと寄り添えるような存在になれたら、と願っています。
旅は、私たちに知らなかった世界や、新しい自分と出会う機会を与えてくれます。完璧な計画を立てるよりも、時に偶然の中にこそ、人生を豊かにするヒントが隠されているものです。もし今、あなたが将来への不安や閉塞感を抱えているのなら、少しだけ勇気を出して、未知の世界へ一歩踏み出してみてはいかがでしょうか。その一歩が、思いがけない出会いを引き寄せ、あなたの人生をより輝かしいものへと導いてくれるかもしれません。